初めに
はじめまして、コウスケと申します、よろしくお願い致します。
今回ブログを立ち上げることになりましたので自己紹介を書きたいと思います。
ここには、はじめましての人も、元々知り合いだった人も来ると思いますので
初めましての人には、僕が今まで何をしていてこれから何をしていくのかがわかるように。
元々知り合いだった人には、普段話す機会の少ない、僕がどんな環境で育ってきて何を考えるようになったのかを知ってもらえるように。
全部は書ききれないので少しかけ足ですが、書いていきたいと思います、つたない文章ですがお付き合い頂ければ幸いです。
出生から通信業界に入るまで
生まれ
生まれと育ちは、兵庫県のシベリアと言われる、兵庫県三田市です。
大阪、神戸へ電車で1時間くらいかかるところで、何もないけど土地はある的な場所で、土地を生かして大きなアウトレットを作ってから人々に認知されるようになりました。
中学時代
ほぼ部活動しかしていなかった時で、剣道部でした。
この頃からすでによく分からない噂が立つことが多く、全然知らない人と付き合っている事にされたり、全く話した事のない人に嫌われたりしていて、好かれたり嫌われたりがはっきりしていました。
それなりに傷ついたりもありましたが、
「自分の事を大事に思ってくれる人たちに時間を使いたい、あまり知りもしないのに嫌ってくる人に時間を使いたくない」
こう思い出したのはこの頃からで、今でもそれは基本的に変わっていません。
高校時代
高校でもほとんど部活動しかしていなかったですが、
人間関係的には、一年のとき、入ってすぐクラスの男達が、集まるけど隠れて悪口言ってるみたいな良くわからない人間関係がめんどくさくて、ずっと一人で食堂でご飯食べてて、食堂友達ができたりして結構楽しく過ごしてました。
二年の時にできた友達が今はニューハーフなのですが、この友人はこの頃から性別に違和感を感じはじめたらしく、ホルモン剤的な物を飲みだしていました、成長期のホルモン剤の効果はすさまじく走ると乳が痛いと言っていて、外見的にも激変し全学年で目立つ存在だったのですが、ずっと一緒に遊んでいたので良からぬ噂がたくさんたって、高校時代、僕に彼女ができることはありませんでした。また、この友人は夏のプールの時期にプールに入ることができず、学校に来なくなってしまいました。
本当におもしろいと思える友人でまたじっくり話してみたいと思う友人の一人です。
3年になったときのクラスは、ほぼ知らない人たちのクラスな上に、「あまり知らないのに自分の事を嫌ってくる」人達が多く在籍するクラスでした、なかなか厳しいスタートでしたが、ちゃんと知り合えば変わるもので、途中からはみんなで旅館に泊りに行ったり遊びに行ったりもして、一番高校生らしい時期だったと思う。
大学を中退し美容師の専門学校へ
大学は、人の人生に大きく関わる仕事がしたいと思い、教職免許のとれる大学へ進みましたが、モンスターペアレンツの存在や、教職という立場上、常に中立でいなければならず本当に伝えたいことは伝えられないと知り、中退して美容師の専門学校に行きました。
専門学校は、他の人達よりも二年遅れて入っていることもあり、学校に行きながら毎日ヘアセットのバイトに行きながら、お金が足りないので深夜のコンビニでも働くというハードモードな学生生活を過ごした。
学校では、なんとなく入った的な人達も多く、ハードモードな自分との間でよく摩擦が起こっていた、学校の先生たちは協調性が大事だと言っていたが、頑張っている人が頑張っていない人に合わせなければいけない環境は、未だに良くわからない、ただ、今も美容師を立派に続けている人達もたくさんいるので何がよくて何がよくないとかはないんだと思う。
卒業後は、美容師として就職したが、一年くらいでカラー剤のアレルギーが発症してしまい辞めてしまった。
通信業界に入ってから
通信業界へ
美容師を辞めてから、バイトを点々としていた時のひとつが携帯ショップでの販売の仕事だった。
はじめたきっかけは本当にたいしたことなくて、派遣会社から紹介された仕事の中で、家からとても近かったからというだけの理由だった。
入ってからは、教育係がつくわけでもなく、何かを教えられる訳でもなく、ひたすら掃除したりしていたが三か月くらい経ったときに、なぜ何もできないのかと怒られた、教えないからじゃないかと思ったがここで初めて教育係がつき本格的に仕事が始まった、おそらく教育する環境が整っておらずほったらかしになっていただけだと思う。
ここでもいろいろあったが、実績だけは良かったので辞めさせられることはなかった、ただ、社内の体制に不満があったりで、4年ほど働いて辞めることになった。
立ち上がったばかりの派遣会社へ
辞めた頃くらいに、立ち上がったばかりの派遣会社から誘いがあり、これから自分達で作って行けるならおもしろそうだし、前の会社の経験も活かせるということで入社を決めた。
この会社は本当に今でも大好きな会社でたくさんの事にチャレンジさせてもらえた。
まず、人に教えらる接客にしようということで、自分の感覚で接客していたものを理論的に考える接客に変えていった、また、いろいろな店舗に行かせてもらうことでたくさんの経験をつんで、店舗さんのコンサルをさせて頂いたりもした。椎茸を育てるといって原木を買いに行った事もあった。
自分にとっては、とても大変だったが貴重な経験で、機会を作って頂いた代表にはとても感謝している。
ただ、中にはやめていく人もいて、本当にその人のとらえ方次第で見方は変わるものなのだと実感した、これからいろいろな事を初めて行くにあたって自分は常に明るい方、おもしろい方を選択し続けていきたいと思う。
関西から関東へ
入社して1年半くらい経った頃、関東での事業も大きくしていきたいので、関東に行けないかという話が来た。
これから作っていくということで、おもしろそうだったので受けることにしたが、関東にきて二か月経った時に、どうにもならないような理由で急に会社がなくなって仕事をなくしてしまった。
この時、本当にいろいろな事があって、人の立ち位置によってとらえ方が違ったり、いろいろな見方がありなかなかかみ合わない事を知った、全員のゴールを見つけることは本当に難しい。
いろいろあったが、この時の自分の物事のとらえ方が悪ければ本当にどうしよもなくなっていたと思う。
幸い自分には、関東に来た時に一緒に広げていこうとしてくれた別の会社の社長さんがいたり、関西で頑張っていた時に協力してくれた人達がいて連絡をくれたりで腐ってしまうようなことはなく、良い選択ができたように思う。
今は二つの事業を軸に展開していて
一つは、通信事業を通して会社に雇われるのではなく自分の事業として個人で独立できるようにお手伝いすること。
もう一つは、起業家の方が、通信に関係なく、本気でフリーランスや副業につて考えている人達が集まれるようなコミュニティー作りをしているので、そのお手伝いをしています。
最後に
最後にここで書きたかった事をまとめようと思う。
思えば自分は中学のときから、自分の事を知らずに嫌ってくる人は相手にせず、自分の事を理解してくれる人たちを大事にするように生きてきた。
その中でたくさんの幸運な出会いがあり今の自分が楽しくしく生活出来ている。
大事なのは「誰と出会って、何を考えて、どう動くか」だと思う。
これから自分が展開していく事業では、良い出会いをつくり、より良いとらえ方をできるようにして、そこからどう動いていくかのお手伝いをしていけたらと思う。
自分との出会いが、あなたと僕にとって良いものになり、明るい将来につながりますように。
それでは皆様ごきげんよう